ビグルモワ

すべて物語にしてしまいたい

小島信夫『ラヴ・レター』

 

ラヴ・レター

ラヴ・レター

 

小島信夫『ラヴ・レター』を読みました。 自分の記録と記憶のためにも簡単なメモを。ねんのため初出も転記しました。表記は迷ったけど「作品名」『雑誌名』(いちばん最初のだけそもそもカッコがついているのです)。

これから読むからいっさい情報を入れたくない! という人は引き返してください。といっても、メモなのでなんのこっちゃわからないとは思いますが。 各末尾の「作品名」はそこでふれられていた小島の作品。見逃しもあるかも。

 

 

 

「「厳島詣」」 『リテレール』1996年春号 22p

同郷の詩人と電話。電話の相手が代わっていたところで笑った。ギャグかなとすら。「美濃」

 

「夢」 『文學界』1997年8月号 20p

Z師。Y師。仙骨。冷え取り靴下。固定して腰を8の字に動かす。

 

「すべて倒れんとする者」 『群像』2003年1月号 28p

H55号。広瀬鎌二先生。大学生が二人訪ねてくる。「各務原・名古屋・国立」「小説修行」 ×ロジーナ

家の話の小説への浸透、現在の家族へとスライド。H先生の哲学を受け入れた話から、小島のキャラクターを少し想像する。最後のアイコさんとの散歩のシーンが圧倒的にイトオシイ。

 

「青ミドロ」 『新潮』2003年1月号 32p

小島信夫「米寿」の祝いでのスピーチ(2002年11月)。その場にいる人たちについて。ドンキホーテ。「別れる理由」「作家遍歴」「各務原……」

 

「ラヴ・レター」 『新潮』2004年6月号 30p

保坂和志。チェホフをチェホフたらしめる。二十年越しのプロポーズの返事。アイコさん→カズヨさん。「小説修行」「静穏な日々」 ×ロジーナ

 

「記憶」 『en-taxi』2004年9月号 28p

正宗白鳥。内田百閒と夏目漱石を少し。小島信夫文学賞について。自分の小説と新聞連載、翻訳について。最後はスピーチ。「小銃」「菅野満子の手紙」「女流」

 

「小さな講演のあと」 『新潮』2004年12月号 28p

ある芸術家について。「十年前のこと」のかっこの長さ。Y師。Z師。X先生。気になって自作を参照すると案の定。息子からの逃避。「静穏な日々」「ラヴ・レター」「暮坂」「鴛鴦」「野晒」 

 

「浅き夢」 『文學界』1986年5月号 46p

 仲間たちと鎌倉へ。レンブラントの帽子。鶯笛。一番小説っぽい。

 

「ある話」 『新潮』2000年1月号 20p

平光善久のことから 三宅寅三へ。見事なスライド。「「厳島詣」」

 

平光ではじまって、平光で終わるんだなと読み通した後に気づく。平光は戦争中に左足を失い、義足で過ごしたという(のちに残りの足も悪くし、晩年はいざりも多かったと書いてあった)。その平光の詩が引用されていて、ホウホウと読む。歩くという単純な行為が足を失った人にとっては、とてつもなく強烈な渇望とともに冷静な目線をもたらし、官能と哲学が交互にやってくるような、そんな詩だと思ったのですが。

『アメリカン・スクール』の中のどれかかもしかしたら『抱擁家族』の中で、小児麻痺だかで足をひきずる息子のことが書いてあって、それと確か大江健三郎の息子の話が混ざり合って、障害だの病理だのの話は当事者(とか家族とか)側からでないと語られてはいけないというような明文化されていない約束があるように思ったのを思い出したのだった。それは本当にそうなのかはわからないけど、「健常」と「非健常」の間の溝みたいなもので。「健常」が「非健常」を差別するのだとしたら、同じように「非健常」の側からも「健常」を「経験した側にしかわからない」と突き放す、そのひとつのように感じる(わたしはこのふたつはスペクトラムだと思っているのだけど)。わたしは、この詩を好きになったのだけど、それと同時に突き放されているように思って悲しいのだった。

話がそれた。この短編集の中でも自作の取り扱いがあって、小島信夫らしい。らしくてにやにやする。すべての話の樹が絡み合って、お互いを支えあっている。その枝も過去だけでなく、未来にも伸びてるのだなと思うと可笑しくなってくる。

妻とのやりとりが本当に本当に美しいと思う。それは『残光』にもあったけど、『残光』よりも具体的であたたかいと感じた。でもまあ『残光』もうろ覚えなので。またいつか読み直して思い出そうと思う。

最近の小島ブームのはじめに、ある人が小島の小説は「忘れることも許容している」と言っていて、その指摘が本当に正しいように思っている。「忘れること」も許容しているし、言ったらすべてを、喜んでも怒ってもうっちゃっても信奉しても、あんまりいい例が思いつかないのですが、とにかくその全部を許容しているのだけど、その中で「忘れる」をワーディングされたのがいっとう正しいんだと思う。いやなんかたぶん、その人の意図とは違う感じになっているような気がするけど、わたしはそう思うのです。

ぼくのいったことも、みなさんはあまり大事にしないで遠くにやってぼくのコトバを眺めるくらいにしといた方がいい

 「小さな講演のあと」

 なんか。こんな。書いてるはじから忘れはじめているのだけど。やさしいなと思った。記録でした。