ビグルモワ

すべて物語にしてしまいたい

4月の短歌––季節はずるい

soulkitchen.hatenablog.com

 

題詠 5首


1. 皿

 ベランダのこの世の春の真っ青の受け皿のなく川の流るる

 

★去年お休みしていたベランダー(ベランダ菜園)を再開した。今年は薬味ばっかり育てている。やっぱりゴーヤもやったらよかったかなとか思いつつ。ともかくベランダに緑があるとうれしい。気持ちがうるおう。じつは土の茶色もよいのだと思う。それまでのベランダはグレー! 灰色! エアコンの室外機しかなかったし。緑色の繁茂をながめながら水をやり、とくに受け皿を用意していないから余分の水は鉢底からあふれてくる。これは川なのだなとわたしの自然をよろこぶ。

 

2. 幽霊

 白昼のどうぶつえんでボーダーの幽霊見つけて家つれかえる

 

★ 花見をしてたら満開の下にはやはり幽霊が、など思ったのが発端だったけど、いろいろ考えてるうちに「ボーダーの幽霊」にたどりつき、そうすると幽霊が一番似合わない場所とかを考えだす。ゾウの柵の前にぼんやりと立っている幽霊(しかもボーダー)は自分の半身みたいなものだという気がする。ので連れて帰る。みなさまも任意の場所でボーダー(べつの柄かもしれません)の幽霊こと自分の半分を見つけてくださいませ。

 

3. 入

 入れるのはやすく出がたく人間、穴ぼこだらけの「グレープフルーツちょうだい」

 

★人間って穴だらけよねぇというの最近とみに思い、入れるのはかんたん、しかしなかなか出てこない(肥りました)。まあほかにもいろいろあるんだろうけど。

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 (アーユーラのがすきですね)

 

4. うそ(嘘、鷽、獺も可)

 あの日々とかかわした甘い言葉とかあれうそだから嘘嘘嘘だから

 

★あのめちゃめちゃな日々も感情も言葉もきらきらした思い出、でいられればいいし、でも場合によっては全否定したくなっちゃうこともあるしなんだかむずかしいものだよねえとか思いながら。思い出は思い出でとっておける方がしあわせな気はする。どちらにしても記憶は改ざんされているよと水をさしたくなったりもする。

 

5. 時計

 順ぐりに律儀に並んでやってくる寝床の時計はまじめな時計

 

★目覚まし時計を複数かけていて、毎度毎度律儀な奴らよとか思ってみる。そして毎度毎度律儀に二度寝をする。

 

 

テーマ詠
テーマ「新」

 めぐりたる季節よ春よお前だけ新しくしているのはずるい

 

★新しい春に、まぶしい春に、目を細めてよろこんでみて、でもふと自分は歳をとっていて、しかし春のやつだけがしれっと新品でいて、質の悪いことにみんなも新品だと思わせるようなそぶりであるの、ずるい。ずるいずるい。ってハナレグミの歌みたいになったのだった。季節に嫉妬しはじめたらやばいぜ。

 

 

 ちょっと時間が経ってしまっていてあんまり覚えていないのだけど、安定しているというか。まだ短歌の形をつくれていてうれしい。春にうかれている感じ。ああこれやっつけでは、というのもあるけれど。それでも頭をひねれてうれしいことですね。

3月の短歌––春となり、人となり

soulkitchen.hatenablog.com

 

ヤッホー短歌! 三月はどうにか投稿できてよかったことです。月の終わりに短歌の目に参加できてると達成感がすごい。短歌活動ぜんぜんしてないし、ぺらっぺらの素人なのだけど、月の数日でも集中したらなにがしかできてうれしいのでした。そんな感じの振り返り。

 

題詠 5首

 

1. 草

 じいさんは山へ芝刈りそれは草ばあさん川でトロピカルジュース

 

★桃太郎のパロディってまあまあネット上にあふれているのだけど、「芝刈り」って見たとたんにピピー!(笛) ちがいまぁーす! 柴刈りでぇーす!!! 芝とは草でーす! 庭かー!!! みたいに思ってしまう(性格悪)。芝刈り警察。のだけど、そんな新説・桃太郎だったら、おばあさんは川でバカンスとかしててほしい。桃太郎における芝刈りはこれからも言葉狩りしていきたい(性格悪)。

 

2. あま

 あまなつのピールつくりて残りたるはげ山の一夜仏壇に供ゆ

 

★柑橘の皮を食べようと思った人すごい。ので、その遺志を継ぎたるものになったときに、主役がむしろ皮なので、無残な姿になった本体がいつまでも冷蔵庫に入っていたのでした。供ゆ場所、神棚か仏壇か迷ったんだけど、仏壇の方がおもしろいかなと。今思ったんですが、もっととんでもないところにした方がよかったかも。

 

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はげ山の一夜

 

3. ぼたん

 めざめごと秘密のぼたん押さるやう春あらわれて人になりけり

 

★だんだん春になっていくなぁというきもち。わたしもだんだん人になっていく。

 

4. 鳥

 雷鳥の換羽集めてオセロたりお菓子の家まで落としてゆきます

 

★逃げたんです、ライチョウ、と長野県の人に教えられ、でもほかではニュースになっていない(四月現在まだ見つかっていないらしい)。というのを思っていて、それから今回のお題に雷と鳥が入っていて、雷鳥で二首とか思ったのだけど無理だった。ライチョウ、どこに行っちゃったんだろう。さすがの保護色使い分けでわかんなくなっちゃったかな。そう、いちおう言っておくと冬は真っ白で夏は茶色と見事に姿が変わるの、ライチョウ

 

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5. 雷

  宝くじ当たった人のための本「急な落雷気をつけられたし」

 

★「短歌ノート」をつくってみて、好きな短歌とか思いついた切れ端とか書き留めてるんだけど、どうしてもできなくてそこから引っ張ってきた、「宝くじ当たった人のための本」。わりとパワーワード。だから歌自体はやっつけでスミマセンという感じ。またお世話になるかもしれない上の句。

 

テーマ詠

テーマ「捨」

 

「新しい顔よ!」のあとさき 元顔に事業所ごみのシール貼るバイト

 

★いくつか考えながら、ジャムおじさんパン工場の裏には廃棄されたパンの山があったりするんだろうかと思いながら、、自分が思い浮かべた情景のために31文字をつかってしまうのたぶんあんまりよくないんだろうなと思いながら。そういえばmoonというゲームに出てくるパン人間の話、かなしかったなぁとか思い出す。

 

 

ただただ自分の話をするけれど、2月は参加できなくて、すると前回は1月で、でもそれはそれでぼわっと霧の中のような小麦粉に水を混ぜただけのもののようなかたちのないねっとりとした感触だったのが、今回は霧も晴れてて元気になったんだねと自分にいいたい感じがある。動詞が多いからかなぁ。なんていうか短歌でも文章でもけっきょく心理状態をはかるものに思ってしまうのね。

文語でキメたいお年頃であり、そのへんも取っ組み合ってみました。だぶんブームなんだけど、そこに入ってしまうと口語ではむず痒い。しかし文法は間違いたくないのでがんばってしらべて。でも本当は「押さるる」だよなーとか思ったり甘えてしまった部分もちらほら(わざとだぜアピール)。文語だと活用や助動詞が厳密になる分、読み方もある程度は指定できてそこの機微を読み取ってくれ勢には便利なのかもとか思ったり。

雷鳥の歌(雷鳥の換羽集めてオセロたりお菓子の家まで落としてゆきます)は口語と文語が混ざってしまってるけど、「落としてゆく」のはだれなんだろう、とか(ふふ)。これ「オセロたり」はもともと「森の奥」だったのを過剰だなぁと思って変えていて、推敲のときに文法とあと詰め込みがちな部分を引いたりすることが多くて(追加することほとんどないね)、ジェンガみたいだなと今思ったことです。そーんな感じで。それではね。チャオチャオ!!

 

例の本を読んだ

 

これね。

 

夫のちんぽが入らない

夫のちんぽが入らない

 

 

入手直後くらいに読んであったのだけど、なかなか記事にできず。感想はほとんど変わっていないのですが、うーん、面白いしいい話なんだけど、そんなに皆皆様が絶賛するほどなのかよくわからないというのが正直なところで、わたしの読解力とか共感力が低いのだろうかとか思ってしまうほどで、それで少し冷めてしまってる。

この感想の記事もいくつか読んで、それで前述の疎外感があるのだけれど、でもそのエントリのいくつかは感動しましたの熱と自分の経験と重ねての見識がはっきりとあざやかに描写されていて、(わたしにとって)この本はぼんやりとしているのと反対に、その人たちの輪郭がはっきりし、色が濃くなったような不思議な感じがあった。

文章は綺麗で、自然の描写なんかが、たぶんわたしが田舎育ちだからというのもあるんだろうけど、何もなく、辛うじてある樹々やなんかもその枝葉の隙間なんかからさらに何もなさを増幅させる寂しい感じがとてもよかった。あとなんだかインターネット発だなぁという感じがする部分もあった。

そもそも筆者のブログを読んでいて、twitter等も拝見しているので、その奇矯な夫がはじめからおかしかったわけではなく、まじめな好青年だということが知れて納得したりした。そのおかしなところに惹かれたのかなと思っていたのは違っていた。というように、事実においては筆者のブログやtwitterの副教材のようなあつかいにわたしの中ではなってしまった。

 

読みながら、なんで「自伝的小説」、つまり(いちおうは)ノンフィクションと銘打っちゃったんだろうと思って、わたしはこれは「フィクション」でいいと思ったのだ。タイトルにもなっているように、夫とは性交渉が持てない(それは恋人時代からずっとだ)。そして読み進めると、夫以外とはできたし、夫もまた他でできているようだということがわかる。その理由はわからない、とにかくできない(入らない)のだ。不思議だ。でも多分そこに意味をもたせて読み解いて(読み解かせて)ほしかったのだ。

また、これを読んで「まさかそんなことがあるなんて」と思う人もいるだろうし、それと同じように「わかる」という人もいるんだろうなと思った。わたしはどちらかといえば後者で「入らない」関係もいいのではないか、むしろその方がいいとか思ってしまう(たぶんこれは個人の体験に深く左右されるのだろうけど)。しかし、作中のふたりは「入りたい」のだ(タイトルを尊重して「入れたい」とは書かない)。「入りたいのに入らない」と「入らなくていいなぁ」は全然違うものだから自分の率直な感想をぶつけるのは躊躇われた。

それと同時にたぶんこういう人たちはほかにもいるんだろうなと想像した。つまり、「入りたいのに入らない」人、または「入らなくていい」人が。と思っていたらやはりそうだったらしく、そんな感想が筆者のtwitter等でRTされてきたりする。そんな今まで気づかれなかった派閥があるならば、恋愛関係夫婦関係に「入る/入らない」という枠組みが追加されるきっかけになるのかもしれないなぁ。

「入らない」けど恋人です夫婦です問題ありません的な関係、わたしはアリだと思っている。究極、友人どうしで結婚したっていいと思ったりもする。「好き」にも色々あるというとありきたりな感じだけど、LGBTにかぎらず、異性愛だってひとつじゃないって、定義がゆるく自由になったら楽だなぁと思う。そういう意味で意義深い点はあるのかも。

 

という感じでこのエントリ内で時間の経過があって、いちおうの結論をつけられた感じにはなりましたが、発売直後は勝手にもやもやしていた感じです。とはいえ重版かかったり社会現象、なのかなー。そういう予感がなかったらこの結論にはできなかったろうしうーん。そうそう、このエントリ、わたしの輪郭は少しははっきりしたでしょうか。