自作解題――そこに私はありません
はじめて短歌を詠んでみての感想です。こういうのは秘すれば花よなと思いつつ、忘れないように書いてみむとす(そんでこちらにこっそりあげておく)。短歌を詠もうと思ってから、いいフレーズあっても(twitterとかでも)書かないでおこうってなることが増えて、秘密が多くなったなーと思います。インターネットよ……。
1.一錠
わたし多分これから風邪をひく嘘の水なし一錠とてものまない
★嘘の風邪をひくのでお薬はのめませーんというお話。風邪をひくのは嘘でなくてもなんか後ろめたいのよなぁ。「嘘の」を風邪の前に持っていくか迷ってここに。掛け声みたいなバランスになってしまった。\中村屋!/ずっと「のめない」だったのを最後に「のまない」に変えたのどうだったんだろうか。
2.おい
おいしいとおいとあなたのとおいおい約束はどこおいといください
★「と」「お」「い」をどれだけ入れられるのかというやけくそみたいな歌。「シンダイシヤタノム」方式で何通りかに読めますね。読みますね。「おいウィスキーの水割り」が入らなかったのだった。
3.ウーパールーパー
水の中泣いてもばれない方法を教えてよ、ねえウーパールーパー
★ウーパールーパーについて詳しくなってしまった。両生類。メキシコにいっぱいいる。あの顔を前にしたらなにをかきいてみたくなる。泣きそうにないよなぁ、ウーパールーパー。
4.マッチ
放火魔と子どもたちとは露見(ばれ)ぬよに騒ぐマッチを竈に抛(ほう)る
★マッチを火に入れるとめっちゃ燃えます。はじける、リンの力! 火をつける側じゃなくてマッチが燃やされる側の歌。犯人が誰か、マッチは見ていたのです……! 「ハートに火をつけて」が入らなかったのだった。
5.葉
見てごらん無限に摘めるシソの葉がこれおれんちの福利厚生
★婚活で街コンで出会っていい感じになった男性の実家にはじめて行って、こんなこと言われたら……! みたいな。かれはこれで決まるだろくらいのことを思ってるのだ。とかいいつつ、小学生男子よろしく「おれんち」の発音で言ってほしいとも思う。実際シソを買わなくていい生活は最高なんですが。「シソの葉【を】」じゃないのだよね。
6.月
クラゲたち極夜の駆け落ちかぐや姫 そこに月が落っこっている
★海に落ちた月はクラゲ、月から落ちてきた人はかぐや姫、で会議? 密談? 駆け落ち? と想像がふくらみ、月のない夜は極夜(白夜の反対とのこと)。後半がはっと決まったので、あとは入れ替え等。とはいえ語彙や語順もうちょっとなんとかならないか。最初はヒトデもいたんだけど収拾がつかなかった。
7.転
はじめての裏に表に転がされ宝の地図になっちゃった夜
★そういうときあるよね、たまにね、って感じの。
8.舌
明日まででしたけどあれどうしたの言われるの待ち舌出すペコちゃん
★いーるー! こーゆーやついーるー! っていう会社員短歌です。これまたやけくそで「した」をたくさんいれてやろう歌。
9.飽き
飽きているきみの変わらぬおしゃべりに十年百年おんなじ話
★ストーカーね。録音したきみの声を何遍だってききます的な。「百年千年」のがよかったかなーとか。はじめは「飽きない」でつくってたのが決まらなかったので、なんかもうちょっと考えられるだろうとは思ってる。
10.【枕詞】うつせみの
うつせみの命初七日うまれつきあたし今度はシーラカンスよ
★セミは七日間といいますが。そしたら次はシーラカンスになりたいなぁという歌。セミ嬢が息も絶え絶えに夢想するんですね。なんかでもここで初七日の法要(人間)の姿がだぶり、「うまれつき」に動詞の連用形と名詞をかけてしまったり、まあいいか、あとはヨロシク! みたいにしてしまった。
解題といいながら、いいわけばかりか。情景を説明する、というにはまだちょっと衒いがあるようです。読む側に委ねる、というのを看板に放り投げてしまっているところが多いような。タイトルにもいれたのだけど「わたし」「おれ」「あたし」と一人称があったのが、あんまり必要ないんじゃないかなとか思った。なにを言ったって詠んでいるのはわたしなのだが、しかし歌はわたしを離れ飛躍する、そこにわたしはいなくなる、ので恩着せがましく不在を主張するのはうるさい親のようであかんのではないかなと思ったりした。
短歌の本を読みました
短歌があるじゃないか。 一億人の短歌入門 (角川ソフィア文庫)
- 作者: 穂村弘,東直子,沢田康彦
- 出版社/メーカー: 角川学芸出版
- 発売日: 2013/04/25
- メディア: 文庫
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読んだ順。後者はいまださんがtwitterで言っていたのを見て、すぐ探しました(ありがとうございます)。実作に役立ったのは後者。でも偏っている向きもあり、前者もよかった。前者はとにかくたくさんの人と歌が載っていて評もされているので。お題ありで「短歌の目」に近いのはこちらかな。
それでお題をキャプチャしてスマホの待機画面にしたり、手帳にうつしたりして、なんとなく考えておいて、かたちが見えてきたあたりで、ほかの参加の詠を見にいきました。かぶってたらやだなとか思ったのだけど、そんなことはなかった(たぶん)。見てたらわかるけど、歌は十人十色。その人しか詠めないんだなぁと思った。みんなスルスル詠めてるように思ったけど、たぶん違うんだろうな。あ、これ思いつかなかった悔しいナァっていうのもあるけど、絶対にここにたどり着かないだろうというのもあった。作品について、個人に帰着してしまうのはあまりよくないと思うのだけど、でもそうとしか言いようがなく。ずっと歩いていくと、似たような彼岸にたどり着いたりするのだろうか。
そんで次回というか。目標はまあもうちょっと慣れてみるという感じで。いいわけしないくらいにはスッとこれですと出したいことです。慣れなのか人間性なのか謎だけど。それで、枡野さんは前掲書でわりと「(短歌を)頑丈につくる」と言っているのが、わかるようなわからないような感じで、しかしこれはわかりたいなぁと思ってるのでひとつポイントかな。以上まとまってないけど以上でした。
それは引用ではない
昨日の晩にブログの記事を書いていて、それはいつもの方のブログなのだが、そこで、その朝に読んだもののことを適当な引用とともに書いたのだけど、あとから考えてみると、そういうふにゃふにゃしたものを「引用」と呼ぶのはいくらなんでも雑すぎるのでないかと思えてきて、ではやり直し、というふうに、あらためて書いて置くこととした。
引用したらそこで満足してしまいそうだ。わたしはそこに書いてあったものに対してフンフンと読んだだけで、返答となるような論考なぞはもたなかったのだ。もうこれは、紹介するぞとしかいいようのない気持ちである。紹介するぞ、もしくはのちの自分のための紹介するぞ、である。
ブックガイド的特集の保坂和志へのインタヴュー記事である。
★
保坂 (前略)ぼくにとってはまず世界とか人生とかを外側から見る視点をいかに自分のなかから完全になくしていくかということだから。世界というのは外から見えない、自分の人生とかも外から見えないわけでね。外から見えるというその救いみたいな出口みたいなものは、(中略)知的なひとたちってそういった俯瞰的思考ができるようになっているんだよね。でもそれによってある優越感的なものをえて世界に翻弄されにくいメンタリティになっていく、知的になるということは知らず知らずにそういうことをする訓練なんだよ。その根は深くて、そういうことを教えることで官僚とかをつくりだし、社会の外側に置き優越感をつくるシステムがこの社会のなかでできているのかもしれないんだよ。(中略)それによってほんとうに自分の人生が豊かになるかといえばちがうと思うんだよ。それで人生を歩めるか、人生をもっとも充実させられるかといえば、外に出てしまうやり方はダメなんだよ。人生や世界を外から見ない訓練を徹底して積んでいかないと充実したものにならないんだよ。
「世界の外に立たない思考 ベケット、カフカ、小島信夫――保坂和志インタヴュー」(松村正人 『読書夜話』) 略部分、引用者による
外側に立つ思考、をさらに外側に立って、でも違うんじゃない? って言うのがおもしろい。外側に立つ思考を経ないでただただ生きる人生と、外側に立つ思考をしかけて、いやそうじゃない、外側には立たないぞと決心して内側で生きる人生があるとして、見かけは同じでもその内面の質は異なったりするのだろうか。いやいや、こう考えることこそが、「知的なひと」が「優越感」をもつための仕掛けなんだろうか。この自己言及的なメタっぽい視点おもしろい、というのは今引用してみて思ったことだけど。
ただもう単純に、それはそうよなというようにも思って、人生をまっとうに生きる、ということは自分を外側に立たせてはいけないということを考えていたので。「ダメなんだよ」とまで言い切られるのは予想外ではあったけど。
それで、ちょっと前に考えていた「小説」と「物語」のちがい、というのがあって、外側に立ってるのが「物語」で、内側の個人が(を)書くのが「小説」というようになんだか感じているのだった。
★
それで、インタヴューはこのあとに身体性の話になって、保坂和志という人は、小説とか科学のことが好きすぎる論理的な人と思っていたので、身体のことを言い出したのがすこし意外であった。でも、小島信夫との往復書簡本でのやりとりを読んでいて、そういうのに憧れているのかなぁとか、その考える人生の中から、これだ! と見つけて希求して突き進んでいるのかなぁ、とか。わたしはものすごく、保坂和志のことが気になったのだった。
★
インタヴューは最後にこう締められる。
保坂 (前略)むしろ自分がいまとっている手段、やり方が世界の外に立つという自覚がちょっとでも掠めたら自分のなかではつまらないから止めちゃうんだよ。それは外に立てるほどの弱い世界像だともいえるわけでね。外に立てないような世界像をつくらないと作者自身も書き手自身も外に立てない文章のテンポ感や力動的なものをつくっていかないとダメだと思うんだよ。
(前掲書) 略部分、引用者による
逆にねー。外に立てちゃう世界はねー、アレだよねー。(地獄のミサワ風)
という冗談はおいておいてね、実際の世界はともかく、小説などは書き手がいるのだから、そういう強い世界を構築するのも手ではある、と思った。
(作者自身も書き手自身も、ってミスじゃないよね? とも思っている)
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別冊ele-king 読書夜話──音楽ファンのためのブックガイド (ele-king books)
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(ドミューンの関係の本なんですね)
A氏
TwitterでF氏とやりとりをしていたことにエントリでふれられていた(ふれてもらった、と書こうと思ったけど、別にしてもらったわけじゃないと思い直した)。
この件で、いろいろな考えが自分の中にたちあらわれて、それをメモしたら6点になった。しかし、そのすべてを箇条書きにするのは野暮なので、最後のひとつだけあげることにした。
★
ここ最近のことだが、大庭みな子を延々と読んでいて、それはなぜかと言うと小島信夫のことが書いてあるからなのだけど、そこでホウとなった部分を引用する。
小島信夫の作品の中には、たとえば「別れる理由」などの中で、大庭みな子という私の名前と同じ女性がときどき登場する。畏敬する大先輩作家であるので、しばしばお会いしたり、電話で長い長い話が続くこともあり、いろいろ教えていただくことも多かったが、その会合や電話で話した場面などが小島氏の作品の中に現れると、それは実際に話し合われたこととはかなり異なってはいるのに、その文章の与える大庭みな子像は本人の私以上に大庭みな子らしい姿であるのに、私自身がびっくりすることがある。作品の中には他にもいろいろな実名の人物が登場するが、多分その人たちも本人以上に本人らしい人物になって登場しているのに違いない。さらりとした小島氏の表現の中には彼がじっと観察した人物が、彼の心象の中で組み立て直されて再登場するのだから、本物以上に本物であり、当の本人が気づかぬような姿で現れることもあるわけで、そのように自分が見透かされているかと思うと怖くもなってしまう。スケッチや写生とは次元の違う人物をさりげなく描く彼の筆は余人の手では及ばないものがある。
とのことである。別件で引用しようと思っていたけど、折角なので(F氏に)放り投げることにした。
(大庭みな子は小島信夫のことをたいそう好いていたようなので、幾分かは差し引いて読む必要がある、と註をいれるべきかもしれないけれど)、とにかくわたしも似たような気持ちになって、F氏に再構成されたA氏として(物語の中で)生かされたらいいというような気になった(だめね)。
★
ひとつ。
A「あることないこと書かれた部分、本当は、誰が言ってるんでしょうね?」
★
あと、やっぱり個人情報見つけてしまって、ウォーイ! ってなりました。