『思い出のマーニー』読みましてん
『思い出のマーニー』読みまして、めちゃめちゃめちゃよかったです。ちなみに映画は未鑑賞。
「マーニーがいた頃」と「マーニーがいなくなった後」にざっくりと分けられて、前半はアンナとマーニーの日々が描かれる。アンナの療養先で出会った二人はなんだかわからないけど惹かれあい、とびきりのなかよしになる。マーニーはアンナのイマジナリーなやつで、マーニー=アンナなんだなと思って読んでいて、そうするとふたりの少女の似てる面異なる面もひとりの人間のもので、なんて感じに。マーニーとすごすうちにアンナは癒されて健康な女の子に成長していく。決定的な出来事は「風車小屋」で、理由のない恐怖を克服するそれは大人になる儀式なんだろうと思って、事実その恐怖の夜の経験がふたりを分かち、マーニーと会うことは二度となくなった。
……っていうここまででもう十分なのだけど、まだ半分あるからねこの話。後半、マーニーがあらわれることはもうなく、しかしアンナは変わりなく、今まで以上に健やかに海辺の町での生活を楽しむ。あんなに大切だったマーニーのことも忘れがちになってしまう。後半はある家族が出てきて、そのかかわりの中でマーニーとは誰だったのかという謎解きパートのようになる。まあうまくできすぎだし、そこまで言わんでもと思わないでもないけれど、ピースがするするとつながっていって、マーニーとアンナの物語の全体像が完成する。それはある種、現実的な回答ではあるのだけど、ああでもやっぱりマーニーは物語のはじまった瞬間から、一ページ目から、存在していたのだと思ってとても見事でした。
すっかり健康になったアンナは街へ戻るという大人になる物語でもあり、本当によかった。当初、いろいろなものに心をとざしていたアンナだけど、それはいろいろなものが重なっていたためであり、心からすべてを憎み嫌っていたわけでなくて、そのことにまずほっとする。わたしだったら拗ねている。アンナは最初からとても強い少女だった。ただしくジュヴナイルで、小学生の時に読めていたらなぁとか思ってしまった。
ジブリの映画は観ていないけど読了後に予告編だけみて、なぜ日本の話にしたのだと思ってしまった。機会があったら確認する。
10月の短歌――おとことくらすおんなもくらす
わいわい! 短歌で知るイッカゲツ! という刻みでの短歌。短歌の目、ありがとう。ひと月ってあっという間じゃない? って思ったけどその前が半年以上空いてたからそんな気もするのかもしれない。詠んだよのあれこれを。
1. 渋
なんじ善き蟹には褒美をとらせよう悪しき蟹には渋柿泡刑
★自分で出したわりにむずかしくない? 渋ってなった(出した時には渋谷とか渋滞とか思ったんだけど)。昔話っていい爺さん(婆さん)と悪い爺さん(婆さん)の系譜みたいのがあり、もしあの蟹がいい蟹だったら甘い柿を投げられて死なず一族仲良く暮らしました、みたいな話もあったのかもしれない。でも悪い蟹は渋柿を投げつけられて泡を吹いて死んでしまった。
2. 容
受容せよ陰毛便座体臭鼾おとことくらす隣でねむる
★57777なのでゆるせよ枠(ゅるせょ枠)。とにかくちっぢれた毛が落ちていること、以前も書いたが伝えたい。あれはなんなのか!!! 性別逆にすれば髪の毛落ちすぎ、なのだろう。おそらく。他人とくらす、でいいんだけどもう一歩いった。あと殿方って異音しませんか、というのはまたどこかでやりたいと思います。ひらがなで「おとことくらす」の生々しさとファンシーさが個人的に気にいっている。許容じゃなくて受容なんだー。
3. テスト
待ち合いで野性のテスト子どもらのその時だけは試験者である
★つくって満足していたら「テスト」が入ってなくてびっくりした。生きてるかぎり一生テストみたいなもので、それは自然状態にいればなおのこと。すると実は人間は野生生物よりテストの回数が少なくて(もしくは合格の範囲が広いのかも)、ハーそれが文明社会みたいなことを思ったりして。子どもが大人より野生に近いのだとしたら、かれらの方がわたしたちを試す側に近いのやもというようなフードコートでの観察。
4. 新米
黄金のこうべ横目に古米背負いスズメが先に味知る新米
★消費者としてのわたし達が新米を入手するにはそれなりの注意深さが必要なのだけど、スズメなんぞはなにも考えず秋になれば新米を食べられるのであった。田圃には赤く塗られた小さな煙突のようなT字がささっていて、それはなにかと思えば突然に大きな発砲のような音がして小鳥たちを追い払っている。類似に大きな目玉が書いてある風船やCDなど。効果あるのだろうか。田舎の秋の風景。最後の最後で「新米」の位置を変えた。
5. 野分
幸福も不幸もわからぬ吾にして野分ききをり暮れるキッチン
★幸福も不幸も、とくに他人のことについては簡単にいえないのだけど、ああそれは大変ですねぇ、といいたくなるようなことが何度も身に起こる人がいて、それに比べれば(いや比べるというのも変な話なのだけど)わたしなんてなにも経験していない甘ちゃんなのですがと思い、でもだからわたしの人生よかったよかったとも思えず、わかるよ大変だよねがんばってねとも言えずへだてられている気がしてしまうのであった。
テーマ詠
テーマ「空」
およばれのため空腹でいます チョコレート一種類ずつ食べてます
★「そら」じゃないもんねー「から」かもしれないもんねーっていう天邪鬼的なやつ(でも小心者なので「そら」でもつくった)。
秋空のなにもなければ寂しかろ飛行機が雲貼り付けていく
★秋の空は雲がなくては、となんだか思う。秋の空の色は透き通っていて実体がなくてすり抜けて宇宙まで行ってしまいそうなので、雲を貼っておいてくれると安心する。
この空は続いているとたれか言いそのためにのみ生き続けてる
★小さいころに知った詩が、なんだかけっきょくずっと自分に響いていると思った。空間的にも時間的にも人々にもあなたの心の中にも続いているのですよ、という内容はよく考えたらすごい話であった。
今回は皆さまの提出が遅めでなかなか参考にできずやきもきしました。滑り込みが多かった(わたしも)。とにかく綺麗なだけの言葉や風景を並べない、というのは短歌以外でも考えているところ。身体性(しかし誰かにとってはぺらぺらだったりするのかもしれない(のでそこをどうにかひとつどうにか))。
はじめにイメージをふくらませようと思って、熟語や単語をたくさん書いてみたりするのだけど、そういうのより"感じ"の方がいいのかなとなんだか思った。イメージよりもひとつ深く、物語をひきずらせるように思考をしてみたらどうか、など。ふだんの生活ではなかなかイメージにたどり着けない、のか。浅い物語を否定するわけではないのだけど、頑丈な空想がほしい。のかも。いやそれより思想、なのか。思想といわれると自分の弱さは自覚しているのでどうしたものか悩む。
『チャーメインと魔法の家』を読んだ
ジブリの映画『ハウルの動く城』には原作があり、続編と続続編があるということ、みんな知っているだろうか。原作は『魔法使いハウルと火の悪魔』であり、動く城にあの造形をあたえたのは宮崎駿なのだよ。映画は映画で賛否両論あろうが、わたしは好きだ。原作が好きすぎての贔屓目の可能性もあるけど好きだ。説明足りなくない? と思う部分もあるが好きだ。
それで今回の『チャーメイン』はナンバリングでいくと3番目に書かれたお話なのだけど、1番目と2番目とはおよそ20年あけて書かれていて(2008)、単行本の初版が2013年5月、徳間文庫になったのが2016年4月なので、当初のファンも見逃しているかもしれない(映画は2004年の11月公開)。続続編がある! とわたしが気づいたのも最近。
チャーメインという本の虫の女の子(いちおう学生)が色々色々する話で、ハウルとソフィー、カルシファーも出てきます。アブダラは出てこないけどジャマールと犬は出てきます。それでこのお嬢さんがおとなしい良い子かと思えばまったくそんなことはなく、面倒くさがりで家事のやり方もまったく知らないしかっとなるとひどいことを言うしで半分くらいまでただただつらい。本を読みながらパイを食べて、かけらが本にはさまるのをそのパイではらうのとかやーめーてーくーれーーーーーとなりました。ぞわぞわした。相方で若い男の子もいて、この子がおもにチャーメインの被害者なのだけど。こちらもこちらでとんちんかんなことばっかりしています。
とくにだれにも感情移入できないので、「真面目な登場人物が損をしている!!」みたいな悲しさはなく、それはよいのかも。考えてみたらほかのキャラクターたちも自分の都合のことしか考えてなかったり大声で主張したりするだけで、そもそも快適な本ではないのかもしれません。よく考えたら『ハウル』も『アブダラ』もそうだった気もするけど。
これだけ言っておいて、オススメ☆という結論にしたいのが恐ろしいのだけど、前述のチャーメインへの没入できなさも大体半分くらいまでで、後半の彼女にはたいへんに好感がもてます。自分を見直し、できることを精一杯やろうとこころみます。だからといって、事態が好転するわけではなく、筆者は無慈悲に状況をえがいていくだけなのですが。最終的にはすべてがまわりまわって大団円になるマジック。魔法の存在が強力すぎるので(使っただけで解決してしまう)、それまでの謎をややこしくしてあるように思える。
変身、不思議な家(城)、犬あたりが三作品ともに出てくるモティーフになっている。今回もジャマールの犬がアレするのだけど、大丈夫なのかな。前回は天使がついてみはっていたはずだけど、というのが心配になった。
さて、気になった部分をすこしだけ引用。
「ふーん。過去って、最高のゴミ捨て場よね」(チャーメイン) p.180
「ほほう。火の悪魔というのは、読書好きなのかね」と王様。
「普通はそうでもない」とカルシファー。「だけどソフィーはよく、おいらに本を読んでくれるんだ。おいら、謎解きのある話が好きだな。だれが人殺しかあてるとか、そういうやつ。ここにそういう本はあるかい?」 p.197
やりとりはやっぱりおもしろいし、魔法のある世界、不思議な種族、本が大好きな王様と王女様、このファンタジー世界が好きならば読まない手はありません。それに、美青年のハウルも出てきます。
作者のダイアナ・ウィン・ジョーンズは2011年に亡くなっており、『動く城』シリーズの新作の構想もあったらしいのだけど、それは永遠に読めなくなりました。残念。ともかくこの素晴らしいファンタジーを楽しみたい、楽しんでほしいと思う次第です。