9月の短歌――ふとれマイオスって言いたいだけ
おつかれさまです! 久しぶりの短歌の目、すべりこんだののメモを残させてください。今回はいつになく推敲ができたので、それだけはとてもとてもよかったです。(客観的に)よくなったかはわからんですけど、自分の満足度が上がるので。うれし。
馬だけでなく鹿も肥ゆれよ。twitterでも言ったけど、たぶん「肥ゆれよ」は間違いで……しかしまあいいことにしました。いたしました。
お題が5首になったので、それはとても気楽なことでした。アイデアを出す段階では同時的に考えるので、あれもこれもになってしまいがち、なのが抑えられた。
1. 星
星型のぎとざとぎとざで待ち合わせ余ったやつらで缶けりしよう
★はじめにできて捨てられ、次のはうまくはまらず、これも最後の最後で下の句が差し替えられた。途中で出てきた「ぎとざとぎとざ」にUターン。☆の角のぎざぎざのことを考えた。
2. 吹
まだこない朝にくちぶえ吹いているくるり女の体温計よ
★電池が切れる寸前の体温計が朝からピーピー鳴っており、眠すぎたわたしはそれを身体の下に隠してまた眠った。ピーピーは朝方が多く、電源をいれる分にはふつうの挙動。背中の下の体温計はわたしが少し動くと隙間から叫ぶ。新しい電池を買いに行った。あんまりよくない単語をつかおうかつかうまいか悩んでやっぱりやめて、それがくるり女になった。
3. はちみつ(蜂蜜、ハチミツも可)
いい夢が見られますよに宝船はちみつインクしたたむ熊田氏
★自分で出したお題。誕生日に小さな小瓶の蜂蜜をもらったのを、食べたあとは万年筆のペン先を洗うのにつかっている。のではちみつをインクに、というのは考えていたけど、恋文でも書こうと思っていたらいつのまにかクマの冬眠前のおまじないになってしまった。そのままクマで体言止めだったのを、どうにか熊田氏でねじこんだ。クマの熊田氏みたいなのかわいいよねぇ(自己満足)。
4. 川
この川を渡れど会はることのなし橋の下には笑う狛犬
★実家の近くにある川と神社がイメージ。なのだけど、少し前に亡くなった祖母のことを考えて、祖母を見送った母のことを考えて、その川はもうただはっきりとあちらとこちらを分けている。それと古語! がんばった古語!! そしたら笑ふ、なのかしら。投稿ぎりぎりまで文法を調べていて、そのスリルもつまっている。(合ってますように!)
5. 秋刀魚
ヤア秋はきみの季節だにっぽんの食卓泳ぎ抜けろよ秋刀魚
★まったくイメージが出てこなかったのを先に出された方々の歌をみて、みなさまユーモラスに詠まれているのが楽しくて、力強く泳ぎぬけよ、秋刀魚!!! って思ったらできました。一番最初にかたまって動かなかった。すごいぞ秋刀魚。えらいぞ秋刀魚。
テーマ詠
テーマ「秋」
夏の遺物 霜つきアイス細長い麦茶のパック果てぬ宿題
★麦茶ばっかりつくっていたなという印象で、麦茶のパック買い置きしていたのが、丸々ひとつ残ってしまった。冬まで残る宿題になりそう。九月はまだ一応大学生は夏休みなので最後にひとつ入れておきました。
細長い麦茶。得点を集めて送るとハンカチがもらえるらしい。
おかわりの大盛りお茶碗なく鹿のふとれマイオスきみは出べそさ
★肥れマイオスといわれたのはわたし。自分のお腹が出てきたのを気にしてわたしにご飯を押しつけてきた人の言葉です。それでフトレマイオスって言いたいだけ。
おわかりと思いますが、下敷きにした歌があります。猿ちゃんアリガト!
奥山にもみぢふみわけなく鹿の声聞くときぞ秋はかなしき 猿丸太夫
ふと風も光もかたむき色あせてフィルムのなかの秋だったね
★わたしの秋というのを考えたら、ぐっと涼しくなった風で、網戸越しに見える外の空ははっきりと青で夏と変わらないように思うのに、忍び入ってくる風の冷たいこと。そう思って外を見て、夕暮れなんぞをながめると確かに往時の激しさはなく、暮れていくばかりの、秋。そういう感じ。なのでこれはとても素直に詠んだ。
というのが今回の短歌についてのもろもろでした。
前回からかなり日が経っていて、その間にも57577の文字遊びを楽しんでいたけれど、どこかに出すためにつくったのは久しぶりで悩ましかった。〆切がないとどこまでも言い訳になってしまうからだめね、と思った。なので、短歌の目、ありがとう。
そうそれで、少し時間もあったのでまあまあ短歌を読んで、知れていて、そういう意味ではちょっとつよくなったぞという感じ。「短歌の作り方」みたいな枠で一首一首とりあげられているのと、この歌人傑作をご紹介みたいなのと、歌集があって、歌集を読むのがなんか一番良いのでは(学習効果高いのでは)と思ったのであった。有名な歌の人は「こういう人」っていう評価がだいたい決まっているから、その歌の詠み方がだいたいわかってしまう。のだけど、とくに有名でないわたしとかが詠むときには手探りすぎてふわふわしてるし、見てくれる人も背景をわかってなくて、その歌だけをただただ味わってくれる。本来そんなものよねとも思うけど。
背景不明瞭な人の一首一首を受け取るのはなんだかお互いにうかがいあって緊張している感じ。それが歌集だと、その中でさらにタイトルをつけられて連作でいくつもまとまっていると全体をとおしてああこういうことねと思ってもらえるので、少し気のぬけた歌があってもよいし、それがリズムになる感じ。読む方もリラックスできてよいぞよいぞと思ったのであった。単純にページのほとんどが余白っていうのが楽だったのかもしれないけれど。テーマを決めて何首か詠むの意味が分かりました。今さら。すみません。押忍! というこのへんでおしまいにします。チャオチャオ!