ビグルモワ

すべて物語にしてしまいたい

座り込んで大きな声を上げて泣きたい(大庭みな子・小島信夫再考)

一年以上前に少しだけ書いていたのだけど*1、大庭みな子さんのこと。小島信夫のことが書かれている部分をさらうつもりだったのが、大庭さん自体がなかなかに面白くて時間がかかってしまった。

 

本エントリの目的は、大庭の文章から見える小島を、つまり作家としての小島信夫を外側から眺めたい、のであるが、おそらくその試みはうまくいかないだろうなと思っている。脱線する気しかしない。

 

大庭みな子と小島信夫は親交が深くて、小島の作品中にもその名前が出てきたりする。大庭からすると抱きついてキスしたいくらいに思っていたというが、それは叶っていないらしい。大庭の文章を読んでいると、恋愛または性愛について、変わっているというか、常識でははかりかねる部分があって、時代か個性か海外に住んでいたからか等考えることはできるのだけど、ともかくそういうものとして読んでみるのだが、小島信夫については一般の男性とは少し違う位置づけであった(らしい)。その大庭をして「(小島信夫は)普通の男が女房に許さないようなことを彼は認めている」ということで、お互い様なのかなという気もする。大庭の夫も大庭に対して、「普通の男が女房に許さないようなことを認めている」ので、やっぱりお互い様というか。登場人物たちは一筋縄でいかないものばかりなのだ。

 

『風紋』から引用する。小島信夫について割かれた一篇「風紋」は、小島が倒れたという報せを受けて、大庭が小島の死を頭の隅にちらつかせながら、それを信じたくない中でその思い出を語るという風だ(大庭の夫(利雄)が口述筆記している)。なんだかどうにも、「書かれた」とか「描かれている」とか使いたくなく感じてしまう一篇である(実際にタイプしているのは夫なのだからそうなのだけど)。

 

 電話はいつも長い話になって、時には彼の今読んでいる文学作品の解説や読後感など、私は実に多くの文学や小説のことを、その一見とりとめもないような会話の中で学ばせていただいたのだが、ときには身辺にまつわる愛妻や息子さんなど家族についての悩み事などを、そんなに細かい個人的な事情を他人である私に話してもいいのだろうかと思うほど話された。もっともこの種の話は私にだけでなく、他の女性編集者にも同じようなことを聞かせていたというから、小島氏は他人にいろいろ語っている間に、次第に自分の作品を創りあげているのではと思うこともしばしばだった。いつの間にかそれらの会話は彼の作品として活字になり、それは実際に交わされた会話以上に真実味を帯び、作中の大庭みな子は本人以上に本人らしい姿になっているのに驚いたものだ。多分私と同じ思いをした人物は大勢いるに違いない。

 生涯人間のことを考え続け、人間の心理の不思議さに捉えられ、その心の動きの妖しさを追い続ける態度は世俗を超越して、ある意味では読者などは眼中にない傲岸さも備えながら、ひたすら彼独自の文学を追い続けた。その航跡が彼の作品群であり、彼は小説を書こうと思って書いたのではなく、思い続けたことを書いたものが小説になったに過ぎないというべきだろう。

 『大庭みな子全集 第16巻』日本経済新聞出版社 pp.303-304

 

小島と小島の作品について、晩年の小島信夫を読みつけていれば誰でも感じるであろう。小島信夫は大庭や女性編集者だけでなく、読者にだって同じことを話しかけている、つまり作品でも同じことをしている。小島の人生や時間が文章に編み込まれ、読んだ者もその中に組み込まれてしまう、あの不思議な感覚。はっきりとしない夢の中の世界がなぜか現実味を帯びること、これは何が(何を書くのが)リアルか、という(個人的な)テーマに結びつく(しかし、「リアル」って小島信夫に一番ぶつけたくない単語だわ)。そして後半はその種明かしの半分であろう(大庭解釈の、だが)。とはいえ、小島は謎かけをしているわけではない。

 

 小島信夫はどんなにすばらしい自然の光景を眺めても、彼の心の中を占めているのは人間、人の世のことに違いない、彼にとっては自然は人間の一部に過ぎないのだ。だが人間が自然の上に立つという聖書に現れるような西欧の自然観とは全く違う次元の世界に彼はいる。人間、人間の意識、人間の言葉などなど、彼の文学にとっては人の心の動きの妖しさがすべてであるのだ。そういえば彼の作品にあるのは人間の意識や言葉だけで、その背景にある舞台のことは必要最小限に留まっている点ではシェークスピアの野外劇のようなものだ。台詞がすべてであり、舞台装置である背景は削られているのではなく、登場の必要がないのだ。(中略)

 寄り添って立ちながらも具象の世界の動きは二人の間に必要はなかった。仮に彼とベッドを共にする機会を持ったにしても、彼はベッドの中でも何か人の世のことを語り続け、相手を抱くことなど忘れてしまうだろう。信さん*2は時子さん*3やアイ子さん*4が傍らにいてくれれば抱擁家族の平和はそこにある。

 前掲書 p.311 注釈は引用者

 

正直、中期の作品を読みきれていないので判断をつけかねるのであるけれど、小島の文学にとって「人の心の動きの妖しさ」がすべてなのだという。それは文学にとどまらず、小島の人生のテーマだったのかなと考えてみたりもするけれど。これは中期までのまだ「物語」の体を成していたころの作品のことだろうか。また後半の、もし同衾したら、という想像が小島に対する愛情の深さというか、それは愛情なのか、もはや母親とか姉妹レヴェルのものなのではないかという感じと、それでも抱かれないだろうという疎外感、抱かれないことへの安堵そして尊敬など、たいへんにたいへんな情感の発露を浴びて、わたしはフワァァァとなる。口にする*5。大庭が小島のことを想うというの、単純な愛情やら性愛でないのを感じて感服する。余計な引用かなと思ったりするけどやっぱり引用する。

そして、注釈を入れてみたけど、小島信夫に興味のない人にとっては全然わからなくて面白くないのではと思った。前妻で『抱擁家族』の時子っていわれても、ねえ?

 

小島についてはまた別の一篇「企まない巧み」でもあつかっている(わたしも前回のエントリ*6であつかっている)。

 

「階段のあがりはな」では母親が階段のあがりはなに座って泣いている。「十字街頭」では西田一灯円の天具師が、悲しみを耐えるには座り込んで大声で泣くことだと言った話を取り上げていたし、「国立」の話では病妻を介護しながら散歩に出て、道端に座り込んで泣きたいというような心の描写があったような気がするが、小島氏は一生涯ずうっと、座り込んで泣き出したい心境でこの世を見つめてこられたと言ってもいいだろう。

 前掲書 pp.331-332

 

 座り込んで大きな声を上げて泣きたいのが本心なのに、小島氏は八十年の間、同じように泣き出したいのを我慢して生きている人々のさまをじっと眺め、慈しみと同情の眼でじっと観察しながら作品を仕上げて来られた。不思議なことに同じことを描写するのにどんな心で見ているかで、表現は不快感を与えたり、心地よさを与えたりするものだが、小島氏の眼には人の生きるさまに対する愛情があるから、悲しい話にも救いや笑いも伴う。

 小島氏の作品は難解であるといわれる。しかし、私に言わせれば巧みである。真の巧みとは企んで出来るものではない。企まずして生まれるものが巧みのようだ。無意識の中の意識の流れがその巧みを生むのだろうか。もし小島信夫の作品が、すべてを計算ずくでありながら無意識の世界を装った構築した作品であったとしたら*7、それはそれで私はその超人的な力量にすっかり頭を下げるだけである。

 前掲書 pp.332-333 注釈は引用者

 

座り込んで泣き出したいにもかかわらず、それを堪えて同じように泣き出したい人を慈しむ、それは大人の態度だと思うし、でも座り込んで泣き出したい自分を書いているのではないか、とも思う。大庭みな子のいいっぷりからすると、そんな自分大好き小説ではないようだけれど。でも確かにいつも泣き出しそうな顔で笑っている(ベロ出しチョンマっぽくないですか)、そんな感じがある。のは『アメリカン・スクール』の表紙のせいかもしれない。

 

アメリカン・スクール (新潮文庫)

アメリカン・スクール (新潮文庫)

 

 

大庭の文章は小島信夫がどういう人間か知る一端になるといえるが、その一方でなにもわからないという気にもなる。けっきょく、誰かのフィルター越しであるということ、また大庭みな子という人間が強すぎてそちらにひっぱられていってしまうのだ。ここではあつかわないが、『風紋』以外の作品もなかなかにオカシく、そちらも読もうとしてこのように時間がかかってしまった向きもある。

 

『風紋』の最後、「おかしなおかしな夫婦の話」は大庭がこの世を去ったあと、夫の利雄が大庭とのことを書いている。それによると、

 やがて利雄は「賢い男は女と争うことはしない」という中国語のレッスンに出てきた格言を思い出して沈黙の行に入る。すると今度は「何でそんな平目のような目をして私を見ているのよ」という言葉が飛び出してきたのも、今は懐かしい、悲しい思い出だ。(p.344)

 

(前略)少し経ってからは、三人のボーイフレンド(皆みな子よりも先に故人になったが)がいたことなどを告白する。それもかなりの段階まで進行していることをほのめかしていた。(pp.345-346)

 

 みな子は「貴方は女好きで博愛主義者だから他の女に手を出したら離れられなくなる。私は冷たくて情を移すようなことはないのだから一人の男に捉われてしまう心配はないの」と言って、「利雄が浮気をすれば刺し殺す。しかし、みな子には自由を与えよ」という不平等条約にサインをさせられる結果となった。以後みな子は時には自由の世界を旅したこともあったようだが、利雄に報告をしない旅はなかったと信ずる。そして彼女の取材の旅の相手をさせられた方にはご苦労様でしたと感謝したい。(p.346)

 

 みな子の最後の短篇『風紋』が発表されたとき、どこからか「こういう小島信夫氏へのラブレターを口述で文字化した夫の利雄はどういう気持でキーボードを打ったのだろう」という声が聞こえてきたが、そういう疑問は利雄にはピンとこないほど、二人の間は世間の常識を離れた、馴れ合った夫婦関係になっていたようだ。みな子は何もはばかることも、はにかむこともなく小島氏への想いを口に載せたし、利雄は何の心のざわめきもなくキーボードを叩いていた。(p.347)

 

すべて前掲書からの引用である。まずこの夫婦関係に驚いてしまうのだが、互いにそれを受け入れているのだから何も言うことはない。などと言いながら、やはり何がしか感ずることはある。といったふうに、まずこの大庭みな子という人間について考えはじめてしまうのであった。

 

そしてやはりうまくまとまらないのであるが、当該部分をまとめられただけでよしとして、このあたりで切り上げたい。久しぶりに小島信夫の文章について考えて、それだけで頭のどこかがあの読後感(読中感かもしれない)にくらくらとされてしまうのだから、オソロシイことである。子どものように座り込んで泣き出したかったであろう小島がそうしないでいてくれたおかげでわたしたちはこの感覚に出合える。

 

 

大庭みな子全集 第16巻

大庭みな子全集 第16巻

 

 

 

風紋

風紋

 

 

(以下脚注、はじめてつかってみたけど便利ですね)

*1:その時の記事

biglemoi.hatenablog.com

*2:小島信夫のことだよ。親しみをこめて呼ぶよ

*3:最初の妻。『抱擁家族』での名前

*4:二番目の妻。本名ではない(はず)

*5:しないよ

*6:これだよー(再)

biglemoi.hatenablog.com

*7:原文ママ