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ビグルモワ

すべて物語にしてしまいたい

文体?

少し前から小島信夫の話をしている。


文体 - 意味をあたえる

イニシャルがAとZなのがいいですね。

これまでに小島信夫の話をしたことはほとんどない。文学の先生に話して、「第三の新人!」と言われたくらいだ。教科書的知識。母親と同居人にも言ってみたが、どちらもピンときていなかった。たいして詳しいとも思えないのだけれど、こういうことでもなければなにも言わなかったことだろうし、なんだかチャンスのような気がするから、書いてみることにする。

当該記事でわたしのことも少しだけふれられていて、そんなことはめったにないので少し緊張する。小島の作にあやかって、保坂和志もこんな気分だったのかしらと考えてしまう。きっと違うだろうね。

小島信夫を読もうと思ったのは、好きな作家がその著作でふれていたからで、そこでは何作分も感想が書いてあったし、保坂和志とのやりとりのこともふれてあったのでとても幸運だった。かゆいところに手が用意されていた(その作家の分、評価が底上げされている節があるけれど)。

 

いしいしんじの本

いしいしんじの本

 

 

その作家とはいしいしんじなのだが、読書記録によると、小島信夫の方を先に読んでいてどうもおかしい。上記の本に記述があったと思うのだが、もしかしたら別の本によって知ったのかもしれない。対象が時を近くして重なり合うことはたまにある。すると、呼ばれているような気が強くして神妙な心持になる。『ごはん日記』のどれかか、高橋源一郎かもしれない。

 

いしいしんじのごはん日記 (新潮文庫)

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一億三千万人のための小説教室 (岩波新書 新赤版 (786))

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作家の中にはオススメとして小島信夫をあげる人は何人かいるのだけれど、わたしの身近で(読者の側で)はオススメどころか読んだことのある人にも会ったことがなかった。業界内での評価がある人なのかもしれない。なので、F氏がブログで小島信夫のことを書くたびに興味深く、すこし親近感をおぼえていた。ある日、何の気なしにコメントを書き込んだところ、少しだけ思い出してもらえる人になれたようだった。また、その人は意識しているのか知らないが、小島信夫のような文章を書くなと思うことはあった。しかし、読みはじめたのはここ数年だというし、おそらくずっと文章を書いている人のような気がするので、それだけではないだろうなと感じている。また、「○○みたいな文章」というのは、褒め言葉でもあるとは思うのだが、人によっては気分を害す可能性もあるので、注意深く使いたいものである。

記事ではZ氏が「文体をパクりたい」と述べたと触れてあるのだけど、当のコメントとは少し違った記載で、しかしそれはわざやっているような気もするし、これらの場合は正確さよりも本人の認識の方が正しいのだろうから、問題はないように思えた(問題があるとすれば、その考え方が一般に浸透していないことで起こるだろう)。これらの場合というのはつまり、小島信夫文章的土俵の上ではということだ。

自分の記憶や認識を軸とし、客観的正確性を大事にしないのが特徴であると思う。間違わないように気を遣って、しかしそのうえで間違ってもいいと考えているような節がある。ここで、「小島信夫の文章の特徴である」と言い切らないのは、自分の浅学ゆえだし、ものすごい専門家があらわれて「それは違いますよ!」と鼻息荒く言ってきた場合にサッとひっこめるための保険でもあるが、絶対的な自信はないのでわたしとしては問題ないし、わたしの主観の中ではそれが小島の文章の特徴であるのでそれでいいのである。

当時のわたしの感想は残念ながらのこっていないのだが、どこぞに「ぬらぬら文体にやられる」と書いた記憶はある。何百ページも読んでおいて、「ぬらぬら」の四字にまとめ上げた自分に驚くが、ここに「文体」という単語を持ってきていることを褒めたい。今問題になっているのも文体についてだ。

小島信夫の文体というものはあるのだろうし、模写もできるのかもしれない。わたしは読んだものについての記憶はほとんどなく、こんな感じという質感だけがおぼろげだ。F氏の書くものは、それにまあ近いと思うが、わざとやっているのか、わざとやっていないのか。そんなことは重要なのだろうか。

小島の文章の肝を少しはおさえたような気になっているが、文体でわたしが影響されたと唯一意識しているのは川上未映子である。

 

そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります (講談社文庫)

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わたくし率 イン 歯ー、または世界 (講談社文庫)

わたくし率 イン 歯ー、または世界 (講談社文庫)

 

 

川上未映子は衝撃で、影響されやすいわたしですからすぐ影響された。奇妙な文体ということなら、こちらも同じくらいオススメします。しかし、小島信夫の作品はそれ以外にも特徴があるように思う。書く人としてのわたしの話をいたしますと、「文体」なんぞはどうでもよくって、できたら自由なものに憧れます。できることなら、毎回違う感じで書きたいくらい。なんとなく「零度のエクリチュール」という言葉をつかってみるけど、本意とは違うような気がします。ね。

 

若い読者のための短編小説案内 (文春文庫)

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オススメを教えてほしいと言われて、『アメリカン・スクール』と『残光』をあげた。ともに新潮文庫。書き落としたが前者は短編集。小島信夫は前期と後期で感じが違うのだが、『アメリカン・スクール』の中では『馬』が可笑しくて好きだった記憶があった。コメントを書いてから、検索したところどうやら村上春樹が上記の著書で若者に紹介しているらしい。村上春樹のお墨付きなんであるから、わたしも 一安心である。村上春樹といえば、現在期間限定のサイトをやっていることで有名だ。やはりみんな、村上春樹が好きなのだ。そういえば今日会社でアルバイトの人が「小説家といえば村上春樹でしょう」と言っていたが、よく聞いてみると学生時代に読んだきりで、フィクションはほとんど読まないと言っていた。読まないくせに小説家を断定してきたのが面白かった。

 

やりとりの中で、図書館というものがあったことを思い出し、職場近くの図書館の蔵書を検索した。さすが小島信夫の著書はたくさんあったので、早速行ってみることにした。検索機をつかうと、比較的新しい一冊が開架に出ていて、あとの読みたい数冊は書庫に入っているということがわかった。カウンターで問い合わせたところ、書庫のものは15分ほど待つと言われ、仕事の合間にこっそりと出かけてきていたので断って、家のPCで予約しますと言った。開架の一冊だけ借りてきた。

 

ラヴ・レター

ラヴ・レター

 

 帰宅して、図書館のサイトから残りの数冊を予約しようとしたが、パスワードも登録したメールアドレスもわからず、やっぱり実際行って15分待つことにしようと思った。