ビグルモワ

すべて物語にしてしまいたい

6月の短歌––1+1=2のような

soulkitchen.hatenablog.com

 

題詠 5首

 

1. クリーム

 ピンクとか生クリームとかイチゴとかたどり着けずの女子の最果て

 

★むかしはランドセルが赤と黒の二色しかなかったように、注文の絵の具のバッグはうすピンクと水色しかなかった。だから当然女子はピンクで男子は水色だよねという空気があって、でも女子でひとりだけ水色をえらんだ子がいて、表立ってなにか言われることはなかったと思うけど、でも変わった子だよねって空気がピリッとする感じだった気がする。わたしも水色がよかった、というかピンクが嫌だったから羨ましかったし、そのことばかり思い出してしまう。ていうかあの水色は男子たちも納得してなかった気がするよ。っていう話はぜんぜん関係ないなと今打鍵しながら思ったのだけど、むかしは性別での分けが今よりはっきりあって、ピンクとか生クリームとかイチゴとかがその箱に入れられていた(男子だって同じようにいろいろ押しつけられてたんだろうけど)。押しつけられているかは別として、それらを好きな、あるいは好きと言える(ことにためらいのない)人たちは、それはそれで女子!!! って感じで羨ましかったよ。

ともかく、この詠は別の意にとれるなぁと思って、この女子が「最果て」にたどり着けた(というかたどり着いてしまった)のかたどり着けてないのか。いちおうたどり着けてない方でつくりました。

 


2. 溝

 久しぶり! ハロー恋人、ぼくは今ヒモという名の社会の溝です

 

★考えていて一番ダイナミズムを感じた題。溝、穴ではなくへっこんだ部分で、はじめはヘソのことを考えていたのだけどあっちやこっちに行った結果、ヒモを名乗る男性があらわれて形ができた。はじめは「彼氏とヒモをつなぐ溝」だったんだけど概念が難しすぎると思って整理したのでした。もしかしたらこの溝のおかげで社会がちょっとばかしよくなっているのかもしれない。恋人よと呼びかけられても、ぜったい「昔の」がつくかぜんぜん知らない人だよなー。

 


3. 万緑

 万緑やわれらみんなの乳飲み児が泣き爆ぜ生命きそつている

 

★草田男の歌は「吾子」をうたっていたけれど、マンションのどこかから赤子の泣き声がきこえていて、外は萌えてきた緑を雨が濡らしている。わたしたちは建物にとじこめられていて、じっとその声をきいていたのだった。泣き声は悲しさだけじゃなくて怒りとかせつなさとか分類されないカオスがあって、ずっとずーっと泣いていて、生に挑戦してるみたいだった。

 


4. 雨

 呼吸する砂漠わたしの肺みたす雨、豆腐をつぶす軽やかさ

 

★サウナでじりじりこげて、かわいている湿度に灼けないように口を覆って呼吸してみるのだけど、呼気のじっとりとした冷たさに自分が心底冷えているのを感じるのであった。温度差って苦しくて、肺にお花が咲いてしまった女の子のことを考えたりして、つらかっただろうな。自分の冷たさがつたなさになり、言い換えていたら「豆腐をつぶす」になっていた。うまく説明できないのだけど、豆腐をつぶすのは罪悪感を感じる。食べ物を冒瀆している感じ。そういう危うさとか後ろめたさとか。

 


5. きみ

 小きみよい今日を夢までつれていく 空気を抜くのに時間がかかる

 

★寝具にころがって本を読んだりしていて、いつでも寝れると思っていたのが、いざ寝ようと思ったらめがねをとって蒲団をととのえて、とかいろいろすることがあった。二次元になるためのひと手間。ねむりは平面。 

 

 

テーマ詠

今月のテーマ「衣服」

 物干しに物干されている間こそほんとうの自分うらがえしのぽけつと

 

★衣服って、脱ぎ散らかしたものとか洗濯ものとかのほうがイメージが浮かぶ。衣更えはこの前やったしなーとか。着るもので自分をあらわすという機能もあるけど、洗われて干されているのって無防備徒手空拳で頼りないよね。

 

 

 「洋服の袖とおすことで魔法がかかる」きみんちの犬がずつと香をかぐ

 

★あと、やたら匂いのことも考えた。樟脳の匂いとか。香水をつけたらもてるとか。動物を飼ってる人って犬にめっちゃ匂いかがれてるよなぁ、とか。うーん、これは練り不足でした!

 

 

 

短歌をつくるとき、自分のひねくれを毎度毎度実感して、まあもうそれはしょうがないことなのだけど、でもこうやって解題してみたら少しでもわかられるかしらという気もするし、きいたところでわかるかよと思われるのかもしれないしとか思ったり。

だからこそ、1+1=2のような、うたがいのようのないすっと立っているものに憧れるのであった。けどなかなか。ひねくれを素直に詠めたらいいのかなとか。いろいろその時のコンディションもあるのでもう少し模索かも。

5月の短歌––切れば血の出る物語を

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毎月恒例の短歌の企画なのだけど、5月は無理ねと早々に諦めていて、でも、つくりたいなと思いはじめた31日の夜に、食事と入浴をすませて時間をつくる。頭の中で考えていたとはいえ一時間弱でできてしまった。まあしかしこれを短歌と呼んでいいのかはちょと疑問。このときのわたしにはこれしかなかった、できなかったのだけど、ウーム短歌とは。とうなってしまうのだった。とにかく散逸しているし、「型? それがなんじゃい」というような。毎度毎度、自分の心理テストみたいになっている。いちおう解説してみるけど、なんかなーという気持ち。でもこれしかないという気持ちでもある。

 

題詠 5首

 

1. 青葉

 青葉ごしたださんぢゅっぷんの昼間、白線の上を気をつけて歩く

 

★ちゃんと帰れた日はスーパーマーケットに寄って、休憩コーナーに座ってみる。家にいるといっさいノートをひらかないので苦肉の策なんだけど、かよってみるといつもいる人、勉強してる人や待ち合わせの人や、おそらく夫婦で帳簿をつけてる人たちもいる(買い物帰りにレシート整理してしまうのが楽なんだろうね)。子ども、おさなき子どもは高周波を発している、等々を発見している。それで最近日が長くなってきているから、座りはじめには明るい夕方、がみるみる暮れていくのをながめながら、仕事から解放されたわたしには三十分の昼間しかないのであった、それもすぐ暮れていく。その時間を注意深くいる趣で。

 


2. くつ(靴、屈、窟など他の読みかたも可)

 たとえばモアイ 虹色の靴履きながら「くつは口ほどにもの言う、くつくつ」

 

★無口なじいさん、が知人の知人でいて、無口なのだけど、リハビリだかの靴を買うことになり(介護用品である)、カタログを見せて選んでもらったところ、めちゃめちゃ派手な色を選んで意外だったという話があり、しゃべれば陽気なのかなとか思ったのであった。でも「無口なじいさん派手な靴履いて」では説明的に過ぎるから、無口そうなものを考える。動物とか偉人とか、それでモアイ像の顔を思い出して、採用した。「くつくつ」には青い人の歌からの影響があったことを付記しておく。くつくつ。

 


3. カーネーション

 母の母の母を私は知らぬ知らぬ街でカーネーションに敬礼 

 

カーネーションから素直に「母」にした。母の母までは知っているけどその母をわたしは知らない。話によく聞く曾祖母は祖父の母だったっぽいし(母の父の母)、母の母の母、謎だ。「知らぬ」を二度重ねて、それでもなにかはつながっているのだから、遠い母たちに、はたまた誰かの母親に、すべてに敬礼である。

 

 

4. 衣

 やわはだを隠せ衣は山みどり ヤギの毛の逆立ったらアルパカ

 

★衣更え、が一番に浮かんで、これだって衣更えを詠っている(つもり)のだよ。持統天皇の歌が念頭にあり、山の衣更え、はげ山に緑を着てもらい、ヤギの草刈り、でまたはげちゃうな、、イメージが確定していなくて歌いきれてないですね

 


5. 夕なぎ

 夕なぎ、ホットケーキのため息をきく さふいへば、男女

 

★昔行った港町の夕方を思い浮かべ、しずかな時間であった。むかし読んだ小説の影響とかで船といえば帆船で、ふうと吐息のような直線的な風を帆が受けるのを想像する。小さなため息をホットケーキが吐く、台所で、それはその夕方とは遠いようで、きっとなにか関係している。そういえば男女って思い出すのだった。わたしたちは。

 

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テーマ詠
テーマ「運動会」

 うすぐらきふくろの中の目配せもうまれてしまえばみんなおんなじ

 

★運動会で思い出すのは就学前の園でのことが強くて、それはなにかしら趣向がこらしてあった。段ボールを中に入って転がすキャタピラ走とか、袋をかぶった親を園児があてるとか、そういうの。田舎だったからか地区運動会というのもあって、それは地域の老若男女が揃い出て、お玉にスプーンをのっけて速さを競うとか、自転車で遅さを競うとか、まじの人生リレー(十代、二十代、三十代……みたいなの)とかで、学校の運動会ってあんまり記憶にない。あれって走るだけじゃない? 話を戻すと、なんか袋の中に顔をつっこんでなにがしか選んで走るみたいな競技があったなぁというのと、日常とかけ離れたことをしてみると連帯感がうまれるよねというの。それとうまれる前の競争みたいなことを考えて、ゴールしたっていいけれど、そこからがスタートだよなぁみたいな気持ち。

 

 

短歌の感想というか幕内のエントリを書くのは夜と決めていて、こんな長文は正気じゃ書けないと思っているとかともかくしっかり時間がとれるとわかっているときに書くことにしている。

それで手の内をあらわしてみたところで、「短歌つくれてなくない」と気づくのだけどそれはひとつの文意にしきれていないということで、自分のなかでほやほやしている物語をなんとなく書いてみたということ、さらに57577にあんまりなっていないなぁと思ったので文字数をかぞえてみる。

 

 

1.青葉ごしたださんぢゅっぷんの昼間、白線の上を気をつけて歩く(58488=32)

 

2.たとえばモアイ 虹色の靴履きながら「くつは口ほどにもの言う、くつくつ」(77588=35)

 

3.母の母の母を私は知らぬ知らぬ街でカーネーションに敬礼 (67677=33)

 

4.やわはだを隠せ衣は山みどり ヤギの毛の逆立ったらアルパカ(57578=32)

 

5.夕なぎ、ホットケーキのため息をきく さふいへば、男女(57754=28)

 

 

やはり定型にはなっておらず、ほら見ろーってな感じである。でもこれはもうこのかたちでしかないとそのときのわたしが思ったわけで、つくりながら「これは詩だな」と思っていたのであった。短詩。もしかしたら破調。破調ってなんなんでしょう、定型でなければ破調? それとも破調なりにルールがあるんだろうか。

大きな"物語"があり、その一方で小さな物語があり、できたら(短歌では)後者をあつかいたいと思っていて、「あるある」を題材にするんではなく、自分の体験を「あるある」と思ってもらえるようにするのがいいんではないかというのが現在の仮説。大きな物語ってだってそりゃ"正しい"んだものね。口ロロがいってた「切れば血の出る物語」を模索したいのだった。

さてそれにはワーディングやら修辞やらがかかわってきてそれこそがセンスの良し悪しな気もするけれど。テクニックでカヴァーできるとしたらやはりそれは習熟。しかしそれを受けて、次はどうしてやろうとかここをこうしたらよくなるぜとかとくに思うこともなく無策なわたし、とりあえず向上心は土にうめてまた懲りずに短歌(もしくは詩)をつくろうと思うのでした。

ここ(詩作または詠歌)において、「詩をつくるぞ」または「歌を詠むぞ」という意識は作品に影響をあたえるのですかね。誰ぞのいった「小説を書くと思って書くのが小説」という定義をそのまま持ってきたわけですが。それとはまた別の次元で、読み手が「これは小説と思ったら小説」というのもある気もするし、なんだかややこしい荒野に足を踏み入れてしまった感じ。とりあえず、お題にのっとってなにかしらつくってみる、という単純な営為に専念しよおと思います、マル。

4月の短歌––季節はずるい

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題詠 5首


1. 皿

 ベランダのこの世の春の真っ青の受け皿のなく川の流るる

 

★去年お休みしていたベランダー(ベランダ菜園)を再開した。今年は薬味ばっかり育てている。やっぱりゴーヤもやったらよかったかなとか思いつつ。ともかくベランダに緑があるとうれしい。気持ちがうるおう。じつは土の茶色もよいのだと思う。それまでのベランダはグレー! 灰色! エアコンの室外機しかなかったし。緑色の繁茂をながめながら水をやり、とくに受け皿を用意していないから余分の水は鉢底からあふれてくる。これは川なのだなとわたしの自然をよろこぶ。

 

2. 幽霊

 白昼のどうぶつえんでボーダーの幽霊見つけて家つれかえる

 

★ 花見をしてたら満開の下にはやはり幽霊が、など思ったのが発端だったけど、いろいろ考えてるうちに「ボーダーの幽霊」にたどりつき、そうすると幽霊が一番似合わない場所とかを考えだす。ゾウの柵の前にぼんやりと立っている幽霊(しかもボーダー)は自分の半身みたいなものだという気がする。ので連れて帰る。みなさまも任意の場所でボーダー(べつの柄かもしれません)の幽霊こと自分の半分を見つけてくださいませ。

 

3. 入

 入れるのはやすく出がたく人間、穴ぼこだらけの「グレープフルーツちょうだい」

 

★人間って穴だらけよねぇというの最近とみに思い、入れるのはかんたん、しかしなかなか出てこない(肥りました)。まあほかにもいろいろあるんだろうけど。

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 (アーユーラのがすきですね)

 

4. うそ(嘘、鷽、獺も可)

 あの日々とかかわした甘い言葉とかあれうそだから嘘嘘嘘だから

 

★あのめちゃめちゃな日々も感情も言葉もきらきらした思い出、でいられればいいし、でも場合によっては全否定したくなっちゃうこともあるしなんだかむずかしいものだよねえとか思いながら。思い出は思い出でとっておける方がしあわせな気はする。どちらにしても記憶は改ざんされているよと水をさしたくなったりもする。

 

5. 時計

 順ぐりに律儀に並んでやってくる寝床の時計はまじめな時計

 

★目覚まし時計を複数かけていて、毎度毎度律儀な奴らよとか思ってみる。そして毎度毎度律儀に二度寝をする。

 

 

テーマ詠
テーマ「新」

 めぐりたる季節よ春よお前だけ新しくしているのはずるい

 

★新しい春に、まぶしい春に、目を細めてよろこんでみて、でもふと自分は歳をとっていて、しかし春のやつだけがしれっと新品でいて、質の悪いことにみんなも新品だと思わせるようなそぶりであるの、ずるい。ずるいずるい。ってハナレグミの歌みたいになったのだった。季節に嫉妬しはじめたらやばいぜ。

 

 

 ちょっと時間が経ってしまっていてあんまり覚えていないのだけど、安定しているというか。まだ短歌の形をつくれていてうれしい。春にうかれている感じ。ああこれやっつけでは、というのもあるけれど。それでも頭をひねれてうれしいことですね。